へんろみち保存協力会

四国遍路について

「遍路とは歩くことなり」

その一歩から、

あなたの旅がはじまります。

宮﨑建樹(一般社団法人へんろみち保存協力会 創設者)

 

我慢の旅

遍路は1日10時間以上、10キロ前後の荷を背負って、平均時速4キロくらいで歩いている。一日の歩行距離は30~40キロメートル。歩きなれない人にとっては大きい苦痛を伴う「我慢の旅」である。私のひとり歩きは、家業閑散期の1月と8月の年2回。7~9日ずつかけて43日間で1周する「区切り打ち」の方法をとった。

車漬けの生活で弱り切った脚力の弱さを時間でカバー、早朝4時に出発し、午後5時宿に到着の1日13時間かけて歩いた。1月未明の山道は真っ暗で気味が悪く心細い。杖を頼りに目を細め、足元ばかり見つめて、夢中で「南無大師遍照金剛」と唱えて歩いた。

死者の立場

徒歩道中に耐え抜く疲労と痛みが大きいほど、目標達成後に授かる「充実感」「法悦」のご褒美が大きいことを遍路はみな体験している。我慢、疲労、苦痛を日々連続して味わう「歩き」は、無心を呼び覚まし、煩悩からわずかでもこころを解きほぐすきっかけになるであろう。

遍路の菅笠や網代笠に記された

迷故三界城(迷うが故に三界は城なり)」

悟故十方空(悟るが故に十方は空なり)」

本来無東西(本来東西なく)」

何処有南北(いずこにか南北有らん)」

の四句は、葬式の際に棺(ひつぎ)にさしかける天蓋(てんがい)や、骨壺の蓋の表に書くもので、これをかぶって歩く遍路は、卒塔婆の形をした金剛杖と、白衣とともに死者の立場を表すといわれている。

いやしの道

遍路とは、四国霊場八十八カ所を「路を遍く」歩き、参詣する四国独特の庶民信仰の文化。弘法大師にあこがれ、そのお力にすがりたいと祈って歩く人も遍路という。

歩き遍路から帰ってくると、人柄が温和になり顔の相が良くなったと言われたという話を聞く。

死を覚悟で四国一周の旅に出た先人たち…その苦行に及ばないまでも、死に装束に身を固め、道中に煩悩を拭い去り、再び現世によみがえるのが遍路といわれているが、それにはやっぱり歩きの行がもっとも適していると考えるが、いかがであろう。

 

四国遍路の歴史

一般社団法人へんろみち保存協力会:事務局 編集

遍路とはなにか。それが形式ではなく、行為の精神性を指すならば、その歴史は古代にまでさかのぼるのではないだろうか。

古来より私たちの祖先は、自然を敬い畏敬の念をもって接してきた。なかでも山、海、大木、大岩、岩窟などは崇拝の対象となり、そのような場所を「行場」として整え、自然と一体化し悟りを目指す「修行」をおこなってきたのである。

日本各地にそのような行場ができ、特に四国には知られた行場がいくつもあったようである。

若き日の空海が「修行」を土佐の室戸岬で行ったのは、室戸の行場が、当時すでに行場として確立していたからだと思われる。空海の著作「三教指帰」には、室戸岬のほか、太龍嶽(現太龍寺)、で修業をしたとの記述が残っている。

室戸岬:室戸市観光協会ホームページより

 

空海が入滅した後、その偉大な業績に天皇から「弘法大師」の諡号が送られた。そんな弘法大師を慕い、その後、四国には多くの修行者がやってくるようになる。

 

中世には多くの修行者が、行場を渡り歩く「辺地(へち)修行」行った。

中世では全国各地で海岸を巡り歩く「辺地修行」が行われていた。四国でも「辺地修行」が行われていたと思われる。

このころ室戸岬周辺の行場、石鎚山周辺の行場ように、断片的だった行場が少しずつ、四国全域に繋がっていったのではないだろうか。

行場には寺院や宿が建てられ、(これらの一部が後の霊場寺院となる)修行者たちに便宜がはかられるようになってくる。

中世の修行者:一遍聖図より

中世の修行者:一遍聖図より

 

江戸時代になると、それまで修行者が巡っていた「辺地修行」に庶民がこぞって歩くようになってくる。戦乱に明け暮れた生活から一気に解放されたから、というべきであろうか。現在まで続く遍路の形式が生まれたのはこのころだといわれている。真念という僧侶により、今でいうガイドブック『四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』が発行され、細田周英の地図を携帯して多くの遍路が四国を目指した。真念は遍路道に石の道標を200基以上も設置したといわれている。(現存は数基のみ)その後、多くの人々により道標が設置されている。なかでも幕末の武田徳右衛門、明治大正の中務茂兵衛の道標は現存している数も多い。

『四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』1687(個人蔵):愛媛県歴史文化博物館図録より

細田周英  :愛媛県歴史文化博物館図録より

 

昭和になると道路整備が進み、車遍路、バスツアーの遍路が増えてくる。古い遍路道に交わり、重なるように車道が通じ、歩き遍路は見向きもされない状況となってしまう。そんななか、弊会創設者の宮﨑建樹氏の活動や、本物志向の時代の流れも受け、少しずつ歩く遍路が見直されるようになり、現在では「歩き遍路本来の遍路の姿だということで、遍路道を歩きたいという人々が、国内外問わず四国を目指してやってきている。

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