へんろみち保存協力会とは
「へんろみち保存協力会の会員は何人ですか?」とよく聞かれた。
「会員はいませんが、協力者はたくさんいます。」
と笑って答えた宮﨑建樹さん。
売名行為ととられたくないが、責任の所在はあきらかにするべきと、遍路道を歩いて建てた道しるべに「へんろみち保存協力会」と1本1本ペンキで記した。最初は松山近辺だけのつもりが、気がつけば四国八十八ヶ所をつなぐ“お遍路さん”のための大切な道しるべとなっていた。やがて、遍路道の草を刈り、距離を測って地図を作り…
その姿に賛同した多くの仲間や地元住民の方々が活動を支えてくれた。歩き遍路を体験して「地図と道しるべに助けられた」と協力を申し出てくださった方も現れた。
たった一人で始め、「お遍路さんが迷わないように」と日々できる限りを尽くしてきた宮﨑さんは、奇しくも「平成遍路石」をちょうど100基建てられた矢先、お大師さんに「お疲れ様」と言われたかのように旅立たれた。
この、宮﨑さんの思いと活動を終わらせてはならない。私たちは「へんろみち保存協力会」を『会』として存続させ、その思いを引継ぎ“お遍路さん”のために活動していきたいと一般社団法人を設立しました。
宮﨑さんの口癖を思い出す。「私は黒子ですから」
主な事業
遍路道の保全・整備・復元
四国遍路道沿いには、当会が設置した道しるべや遍路札が約2,000箇所あります。お遍路さんが安全に、安心して巡礼できるように、保全・整備・復元活動を行っています。また関係団体の活動にも参加・支援を行っています。
近年の活動状況
・遍路道の調査、道しるべ・遍路札の設置
皆様からの情報をお待ちしています。
(この写真はお遍路さんから提供していただきました。:愛媛県歯長峠)
(:徳島県藤井寺の焼山寺道登り口)
・遍路道の草刈り活動
会員の方にも協力していただいています。
・親子へんろみちウォーキング&お接待の開催
子どもたちのお接待はお遍路さんに好評です。
・令和遍路石の設置
101基目となる令和遍路石第1号 (平等寺ー薬王寺間)
ヘンロ小屋の前に令和遍路石を設置しました。
四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】・【解説編】の編集・出版
平成2年(1990)に発刊された「四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】」は、歩き遍路の方にご好評いただいています。宮﨑建樹氏が編纂したルートを基に、時とともに変化する道路やランドマークにも対応、編集・出版を行っています。
※地図の売り上げの一部は遍路道の復元や維持費、地図の制作費などにあてられています。
【地図編】の歴史
それは宮﨑氏の自費出版から始まりました。
・初版(3色刷り) 平成2年(1990)
・第2版(3色刷り)平成3年(1991)
・第3版(3色刷り)平成5年(1993)
・第4版(3色刷り)平成8年(1996)
・第5版(3色刷り)平成9年(1997)
・第6版(4色刷り)平成16年(2004)
・第7版(4色刷り)平成18年(2006)
・第8版(4色刷り)平成19年(2007)
・第9版(4色刷り)平成22年(2010)
・第10版(4色刷り)平成25年(2013)
・第11版(4色刷り)平成28年(2016)
・第12版(4色刷り)平成31年(2019)
・第13版(4色刷り)令和4年(2022)
【解説編】の歴史
平成9年(1997年)に解説編が発刊されました。
・初版(1色刷り) 平成2年(1990)
・第2版(1色刷り)平成3年(1991)
・第3版(1色刷り)平成5年(1993)
・第4版(1色刷り)平成8年(1996)
・第5版(1色刷り)平成9年(1997)
・第6版(1色刷り)平成16年(2004)
・第7版(1色刷り)平成19年(2007)
・第8版(1色刷り)平成29年(2017)
・第9版(1色刷り)令和2年(2019)
その他 以前にはこのような宮﨑氏編集のガイドブックが刊行されていました。(現在は発行していません)
・68歳からの同行二人 四国霊場徒歩巡拝究極のモデルプラン 平成6年(1994)
高齢のお遍路さんに向けたガイドブック
・JR・私鉄・路線バス のりつぎ巡拝ガイド 四国霊場 先達
沿 革
1987年(昭和62年) | 宮﨑建樹氏が「へんろみち保存協力会」を創設。愛媛・香川・徳島・高知と3年かけて、四国遍路道に道標(全て手作り)の表示板2,000枚と、杭800本を設置。ボランティアを募り、草刈りや遍路道の復元に取り組む。 |
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1989年(平成元年) | 四国全体に道標の設置完了 |
1990年(平成2年) | 「四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】」を自費で発刊。 |
1995年(平成7年) | 平成遍路石の建立を開始。(現在100基建立) |
1996年(平成8年) | ボランティアで遍路道の整備を行う四国霊場・遍路道「草刈奉仕隊」を結成。 |
1997年(平成9年) | 「四国遍路ひとり歩き同行二人【解説編】」発刊。 |
2008年(平成20年) | 高知県中土佐町長より「旧へんろ道(土佐往還そえみみず遍路道)」の復元で感謝状を授与される。 |
2010年(平成22年) | 宮﨑建樹氏逝去。 |
2011年(平成23年) | 株式会社建信舎設立 |
2013年(平成25年) | 『四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】第10版』を発行 |
2015年(平成27年) | 株式会社建信舎から事業を引き継ぐ、任意団体としてセキ株式会社内に事務局を設置。 |
2017年(平成29年) | 一般社団法人へんろみち保存協力会を設立。(セキ株式会社内) |
2017年(平成29年) | 『親子へんろみちウォーキング&お接待体験』を開催(以降年1回開催) |
2018年(平成30年) | サントリー文化財団より『サントリー地域文化賞』を受賞 |
2022年(令和4年) | 令和遍路石を建立(令和1号 通算101基目) |
宮﨑建樹さん紹介
歩き遍路を復活させた立役者
宮﨑さんは四国遍路の文化、特に「歩き遍路」の大切さにいち早く気づき、たった一人で活動を始められました。宮﨑さんが活動を始めたころは、ほとんど「歩き遍路」をする人はおらず、お遍路といえばバスツアーか自家用車が当たり前でした。「歩き遍路」は風前の灯だったのです。
「このままでは歩き遍路の文化は消滅してしまう。」切迫感を伴う動機だったのでしょうか、手作りの道標をわずか2年で遍路道全域に2000カ所も設置しました。さらには自費出版で地図を発行し、多くの人が歩き遍路を始められるよう便宜を図ったのです。その後は、さらなるガイドブックの刊行、平成遍路石の設置、草刈り奉仕団を組織し、遍路道の整備を行う、消えかかっていた遍路道を復元するなど、四国遍路に関わるほぼすべての活動を展開しました。しかし、そこまでの業績がある「歩き遍路復活の立役者」でありながら、決して表には出ず、活動を地道に継続して、生涯「縁の下の力持ち」を貫かれました。そのような人柄が愛され、今でも「宮﨑さんは素晴らしい人」だったと声をかけてくださる方が絶えません。
宮﨑建樹ライフヒストリー
昭和10年(1935) 0歳 愛媛県で誕生。
昭和48年(1973) 38歳 警察官を退官。
昭和52年(1977) 42歳 病で10日間入院し健康の大切さに気付かされる。
昭和54年(1979) 44歳 はじめて歩き遍路をする。
昭和62年(1987) 52歳 札所巡拝中に道に迷う。これを機にお接待として遍路道の道しるべの設置を始める。
平成元年(1989) 54歳 四国全体での作業を完了
平成2年(1990) 55歳 「四国遍路ひとり歩き同行二人」初版を発行
平成6年(1994) 59歳 遍路道の草刈り奉仕を開始(草刈り奉仕隊)
平成7年(1995) 60歳 「平成遍路石」の建立開始
平成14年(2002) 67歳 「大法輪」2002年3月号に「先達とっておきの四国遍路の見どころ」が掲載される。
平成17年(2007) 72歳 英語版遍路地図「Shikoku Japan 88 Route Guide」(編:松下直行 武揚堂)を発行する。
平成20年(2008) 73歳 韓国語版遍路地図「四国88カ所 巡拝の旅 案内地図」(編:松下直行 武揚堂)を発行する。
平成22年(2010) 75歳 12月10日死去
四国霊場会 感謝状授与 平成9年(1997)
高野山大師教会本部 感謝状授与 平成12年(2000)
高野山大師教会本部 感謝状授与 平成13年(2001)
高野山大師教会本部 感謝状授与 平成14年(2002)
高野山大師教会本部 感謝状授与 平成15年(2003)
早稲田大学 感謝状授与 平成10年(1998)
日本放送協会松山放送局 感謝状授与 平成12年(2000)
愛媛新聞社 「愛媛新聞社賞」受賞 平成13年(2001)
社団法人「小さな親切」運動本部 表彰状の授与 平成13年(2001)
社団法人「小さな親切」運動愛媛県本部 表彰状の授与 平成14年(2002)
テレビ愛媛「テレビ愛媛賞24」受賞 平成16年(2004)
高知県中土佐町 町長より「旧へんろ道(土佐往還そえみみず遍路道)」の復元で感謝状の授与」 平成20年(2008)
新聞を始め、多数のメディアの取材を受け、掲載されました。
また、記事の掲載、監修等も数多く行っています。